いつかはこの日が訪れると覚悟はしていましたが
7日に とうとう母との別れの日を迎えてしまいました。
10月末にははじめてのひ孫、瑠くんにも会えて
嬉しそうに手を差し出していた母でした。
入院後は弟、妹と交代で病院に泊まり、残された数日を看病し
看取ることができたことが、せめてもの慰めとなりました。10月末にははじめてのひ孫、瑠くんにも会えて
嬉しそうに手を差し出していた母でした。
入院後は弟、妹と交代で病院に泊まり、残された数日を看病し
闘病の苦しさからようやく解き放された母は
静かに とわの眠りにつきました。
料理、花のこと、行事の心得、、まだまだ母に教えてもらいたい事が
たくさんありますがそれは叶わなくなってしまいました。
母の庭では白菊がたくさん咲いていました。葬儀の際にご近所の親しかった方から
お話しを伺った中に
母が株分けをして差し上げた白菊の花が毎年きれいに咲いて
その菊を 「Tさん」 と名付けたというのです。
私の知らない母の日常に触れ、ほっと温かいものが溢れ、心がやすらぎました。
白菊 「Tさん」 は毎年咲き続けることと思います。
長い間ご苦労様でした。長い闘病から解放され、1日も早く義兄さんの所へ行けるよう祈るばかりです。これからは日々成長するリュウ君に癒されながら、悲しみも薄らいでいくことでしょう*
返信削除体に気をつけてね
大変お世話になりました。
返信削除元気だった頃はAちゃんが猿ヶ京に
くることをとっても楽しみにしていた
母でしたね。
歳が離れていてもいちばん近かった
ように思います。
猿ヶ京にも母の思い出がいっぱいですね。
寒くなりました。お体お大事に、、、。
何十回、何百回枕を並べたんだろう~と思うと、涙、涙、、
返信削除いずれ~とわかっていても、別れはつらいですね。
私の友達も、みんな猿ケ京で知り合い、沼田の家までも上り込み親しくしていたので、でもまだみんなに知らせることもできず
もらってきたお花を眺めています。静かになった今の方がつらいよね。
Aちゃん、コメントありがとうございました。
返信削除レッスン室には母が北海道旅行のときに小樽の
オルゴール館で買ってきてくれた
お人形のオルゴールが置いてあります。
エーデルワイスの曲で時々かけていますよ。
姉妹旅行では日本中旅したからAちゃんたちも思い出がいっぱいあることでしょうね。
張り切って買い物をしてた姿が思い浮かばれます。